猫とワタシ

もとしたいづみ は どうした!

作家もとしたいづみ の 働きっぷり

この記事のみを表示する遠泳は続く

未分類

kanai17-omote-1[1]

さて、ようやく公演開始。
会場はバーと鏡のある稽古場。
ふと見れば、既にダンサーがヨガのひねりのポーズのような
膝を抱えた姿勢でうずくまっている。

いつからそうしているんだろう?
冷えないかしら。
私なら、いざ動こうとしたらぎっくり腰になるなあ。

台湾・台北の中正紀念堂で見た衛兵交代儀式を
思い出した。
1時間も置き物のように微動だにせず立っていた人間が
動きだすのだ。
私なら、急にあの台から降りたら、膝ががくっとなるなあ。
そう思った。

無音の中。開け放たれた窓の向こうには
わさわさと草が揺れている。
ときどき土手を歩く親子の会話などが聞こえる。
観葉植物らしい、そのダンサーは動かない。
でも、もう始まったことは、観客が静かに見守っているからわかる。

もし客が私ひとりだったら、気づかないで
バッグの中をごそごそやったり、部屋の中の
古い写真などを眺めていたことだろう。

どうも、コンテンポラリーダンス(といってもいいのだろうか?)の
鑑賞の仕方がよくわからない。
でもこの分からなさや戸惑いが、癖になるのかもしれない。

そのうち、ゆっくりと、ひとり、またひとりと
客席側からダンサーが登場し、
1時間半の、めくるめく肉体のリズムが繰り広げられた。

先がわからない。
これは・・・蛙? 蛙が何してるところ?
この動かない人は? と、考えながら観ているが
そのうち、解釈を見つけることを諦め
目の前の光景に身をゆだねる。

タイミングはこの、ときどき鳴る、ゴー―――――という雑音のような音なのか?
と思いながら、私の横にある音響装置がオフなのを見た。
そうか、遠くの橋を渡る新幹線の音か。
でもこの音も込みなのだろう。決して邪魔にはなっていない。
それどころかアクセントになっている。
風も、午後の曇った光も、何から何まで演出のひとつに巻き込んで
ここだけの世界に留まらない、外の世界につながっている。
それがなんとも心地良い。

出演者が、ほぼ知り合いか、以前公演を観たことがある人か
だったからそう思ったのかもしれないけど、
それぞれの個性がちゃんと出ていて、それがとても不思議だった。
いかにもその人らしい動き、佇まい。
本来「ダンス」とはそういうものなのかもしれない。
でも、なんとなく、ダンスとは一度個性を殺してから
形なり、振りつけなりを取り込むものだと思い込んでいた。


あの時間が、あれ以来、ふっと懐かしい光景として思い出される。
まるで、子どもの頃、よく遊んだ原っぱを思い出すように。

kanai17-ura_[1]

この遠泳はまだまだ続く。
出演者もいろいろ変わる。
乞うご期待。


コメントの投稿

secret